信じるということは、責任を負うことです。たとえどんな状況になろうともその現実を引き受けるということです。
だから「信じてたのに!」って言葉は通用しないわけですね。
でもそう思ってこの言葉を使っている人がどれだけいるでしょうか。
「期待する」ってこととごちゃ混ぜになっていることが多いのかな。
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娘と葛藤があった頃に「お母さんは私のことなんて信じてないんでしょ!」と言われて、信じるって言葉をとことん考えることになりました。
実際、信じられなくなるような行動を繰り返している人を「信じる」ところに至るには…。
はじめは混乱しかなくて、ただ「信じてみよう」というところからはじめました。
嘘だとわかっても疑うような言葉をかけない。ただ見守る。
そして何が起きても責任は私が取ると心に決めました。
私が決心すると娘はどんどん変わっていきました。
後に「信じてないって言われたことが一番心に刺さった」と話すと「実際信じてもらえるようなことしてなかったけどね」と少し照れたように答えた娘。
それでも世間や家族を裏切るようなことはしなかった。
そして心から信じることの大切さを教えてくれました。
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人はどんな時に信じるって言葉を使うのだろう。
本来その相手や出来事を丸ごと受け入れる言葉じゃないかなと思うんです。その思いには自らの責任が生じるはずです。見たもの感じたものが嘘でも本当でも、その喜びも痛みも全部引き受ける。
私はその潔さがとても好きです。
そして私がその言葉を使うとき、そこにはいつも愛があります。