十数年続けた仕事を辞めます。 次に何をするかも決まっていないし、 まだ子どもの学費もかかるのだけど。
長く働いて仕事の量や責任は増えて行くのに、もらえるものはほとんど変わらず。 自分を癒していくうちに、自分が大事になってきました。
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いろいろなことを決断出来ないでいる私の後押しをしてくれるのはいつも子どもたちです。
「口ではいろいろ言っても結局決断出来ない」これは15歳の息子の言葉です。
「だってまだ受験のこととかあるしさ、あんまりバタバタしたら〇〇に悪いかなって」
「そういうこと?どっちでもいいよ、別に大丈夫だよw」
「そっか、そうだよね」
どっちが親なんでしょうか。 しっかりし過ぎて感心しちゃう。
辞めると決めて、お金のことを考えていたら社会保険どうしよう? 今から夫の扶養に戻ることは考えていないし、もし仕事見つからなかったら払っていくの大変だなーと。
そして娘に何気なく話すと、 「私の扶養になればいいじゃん」 即答でした。
不登校から転校して就職、将来労務士の試験受けようかと考えている頼もしい娘の一言。
「その手があったか」
人生が動く時、こうしていろんなことが次々整っていきます。
「こっちだよ」って声がする。
でもその一歩は必ず自分で踏み出さなければいけないのです。
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最初の一歩の背中を押したのは特別な存在でした。
大勢の会話の中で「無理だと思ったら早く辞めるべきだよな」その言葉に私は少し弱気に「若い人なら特にね」って言ってた。
「うん」とかんばしくない返事が私の胸に刺さりました。
ずっと辞めたいと思ってるのにグズグズしてること、何となく感じているのでしょう。
じわじわ私の中で大きくなって、そして現実も動いたのです。
「もう無理だわ」と思う出来事とともに。
これから繁忙期がやってきます。 そこを乗り切って辞める。
今は状況を不利にしないために周りに意思を伝えています。 退路を経って後戻りしない。 もう前進あるのみです。
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私の本当にしたいことって何だろう。
漠然としたものはあってもまだぼんやりして見えない。
最近は年齢を気にしないようになってきました。 自分で作った制約に縛られるのは意味がないことだと気づいたから。
人は生きていたら、いつだって何だってできる。 すべては自分次第で、すべては必然。
焦る心を落ち着けながら、今は日々の生活を正していきます。
今ここにある幸せに感謝して手放していけるように。