外はすっかり梅雨空。 こんな季節は気分まで重くなって、なんだかざわざわ。
先月末には大きな月がでていました。 暖かい橙色の光。
秘密でもらうプレゼントのよう。
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日々信じることについて考え続けています。 人と人との関係の中でとても大事なもの。
この世での信用は対象者の存在そのものはもちろん、住所や社会的な立ち位置など、多くの観念によって成立しています。
その情報は対象者を保証しながら枠に固定していきます。
そしてひとつでも欠ければ信用から外されます。
人と人が繋がる時は、言葉を交し理解し合いながら少しずつ信頼を得ていきます。
もしその時、顔の見えない相手であったら? 普段の生活も垣間見ることくらいしか出来ないとしたら?
思いを通じ合わせることは難しいのでしょうか。
人を信頼することの前提にその人のなにかに魅力を感じたり近づきたいと感じているのですが、言葉を重ねるだけでその人の「人と成り」を理解することは相当に大変なことです。
いくら心を寄せても毎日の生活の中で人の気持ちは揺らいでいて誤解が生じることもあります。
信じたい人を凝視して見えている事をいくら知ったところで信頼感は育たないでしょう。
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物理的な距離が遠い人から助けを呼ぶ声が聞こえた時、私は無条件で飲み込むことは出来ませんでした。 正しくは「しません」でした。
その時も決して信じていないわけではなかったのです。 大切な人を前にして、私の中の覚悟と折り合いがその判断を一旦保留にしたのです。
何時でも過去には戻りたくない、前進あるのみの性格なので大切な時には特に慎重になります。
そんな私の気持ちを理解して、その人は何も出来なかった私に感謝の言葉を述べました。 私も感謝の言葉を返し、自分と向き合いました。
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一日が過ぎて状況が明らかになると自分が本当に望んでいることに気づき、「進め」と心がサインをだしたのです。
曇り空から一気に空が抜けるような感覚で、わたしがわたしを信頼できた瞬間でした。
例えば相手が突然に掌を返しても、この気持ちが無駄になってしまっても、それでいいと思えたのです。
今の感覚と気持ちを大事にしよう、そして私は私の信念を失わずに生きよう、今までもそうしてきたように。
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日々の繰り返しの中で見つめて行くのは自分自身でしかないことが言葉だけでなく心にはっきりと刻まれました。
自分だけは自分を悲しませないように、心が揺さぶられたら慌てずに深呼吸する。
信頼とは与えるもの、与えられるものであると思います。
誰かへの愛が自分への愛であるように、自分と向き合って心の深いところから受け取る感覚を大事にしたい。
直感を信じましょう。
不安も疑念もすべてから解放され、誰かを受け入れる時、自分自身への深い愛を共に感じることができるのです。