自由帳

今から私を探す旅にでます

心の整理はじめました⑤~母の思い出~

短い梅雨が明けて、晴れ間が続いたと思ったら戻り梅雨のような空模様。 住宅街ではまだ聞こえない蝉の声、土手沿いではシャンシャン耳鳴りのようです。

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母の死からもうすぐ1年。

働き者で几帳面で、人付き合いはあまり好きじゃない母でした。

狭い一軒家に祖父母と父母、私は父母の養子としてこの家に来ました。 父との接触が少なかった分、母は厳しかった。

人の出入りも多く、祖父が亡くなるまでは家にいても掃除、洗濯、炊事、ずっと忙しく動き回っていました。 小さな頃、一緒に遊んだ記憶はあまりなく年中外に行って遊び相手を探していました。

歳をとった祖父母との暮らしは他の家庭とは違い、毎年梅干しを漬けたり、あんこを煮ておはぎを作ったり、昔ながらの豊かな生活も経験することが出来ました。

逆にその分、新しい風が吹かないので若かった私には窮屈で、雑誌を読んだり、ラジオやテレビで貪欲に流行を追っていました。 そうすることで友だちと少しでも馴染もうと必死でした。実際、かなり浮いていたので。苦笑

そんな子どもの頃、今でも鮮明に覚えていることがあります。 寒い冬の日、家に帰ると母は洗面器にお湯を張って玄関まで持って来てくれました。「寒かったでしょ、あっためなさい」そう言って私の手をお湯にゆっくり浸してタオルで拭いてくれました。 何気ない日の一場面、でも私には一生の思い出。

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私が結婚すると、「責任持って育てなくては私の実親に面目が立たない」と思い続けていた母もやっと肩の荷がおりたのでしょう。 厳しかった母はどこへやら、孫たちには本当に優しいおばあちゃんでした。

認知症にならないようにと心がけながら暮らしていたのに。

「一生懸命努力」、母の筆字が今も台所に張ったままになっています。

看護師さんにそのことを告げると、「写真撮らせて、私も頑張らなくちゃ」と。

母はその通り生きた人でした。 私も一時期は母と同じように生きていたけど、今は違うかな。 母が間違っていた訳ではなく。 ただまた別の生き方もあるということです。

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母は生前、とても熱心にお墓を守っていました。 「私はお墓のことをしているから幸せでいられると思うの」 と、よく言っていました。

我が家のお墓は1700年代頃から続く歴史のあるお墓らしいです。らしい、というのもいろんな経緯を経て墓守が転々としているから。わかっているのは私の祖母が最初に嫁いだ先のお墓だということ。夫に先立たれた祖母が祖父と再婚し、祖父が墓守となりました。祖父の死後はその娘である母が墓守となり、母の闘病中は父が、そして今は私です。 ここ3代だけでも3つの姓に変わっており、お墓の名前は祖父の苗字になっています。 納骨されている人たちの血縁もいろいろと複雑であり、ここまで保てたことも不思議な感じです。

私の次は娘か息子か。どちらも進んで手伝ってくれていて、有り難い限りです。 (ここまで話すとさぞ大きく立派なお墓を想像してしまいそうですが、実際は人が一人、前に立てるくらいの小さなものです。)

少子化核家族、今の時代どのご家庭でもお墓の問題はあるでしょうね。 墓終いや改葬される方も増えているように思います。

お墓を守っていくには金銭的な問題もあります。これは我が家も他人事ではなく、不安要素の一つです。 最終的には生きている人のほうが大事、そう思うことで少し楽に考え、子どもたちにも伝えています。

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この数年で小動物のペットたちも寿命を迎え、残るのはインコ一羽になりました。 娘も家を離れて自立しました。

家族仲はとてもいいです。 夫は今ではお互い衣食住以外は余計な干渉をしない同居人。 全てわかっていて、今は手助けしてくれているようにさえ思えます。

いろんなことが終わっていく。 私も家の片付けを継続しています。

全て整った先、また新しいはじまりを願って。

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