自由帳

今から私を探す旅にでます

私的パラレルワールド〜ファンタゴールデンアップルの謎〜

YouTubeで懐かしの飲料なる動画を見ていて、子供の頃に思いを馳せました。 あー、あれもこれもあったなぁ、懐かしい。あ、そうそう、ファンタの中ではゴールデンアップルが最高に美味しかったなぁ〜。 誰かブログなんかに書いてないかなぁ。 検索してみてびっくり、実在していないと書かれているんです。しかも多くの人がその存在を主張しており、マンデラ効果やパラレルワールド説などと書かれていました。 私の記憶の中には、ゴールドのデザインが販売機に並んだ姿も、りんご味の炭酸飲料だったこともはっきり記憶されています。 それなのに!実際はなかった、と。 えええええー‼︎ありましたよ、確かに! 1970年代初め頃ににゴールデングレープという商品があったそうで、それとの勘違い説も出ていますが2年間しか販売していなかったそうで、それでは年が全く合わないんですよね。 私は多分小学生くらいだったと思うので。

もし、ほんとに今の世界に存在しなかったというのなら、わたしはパラレルワールド説を採用したいと思います。 その頃のわたしは純粋で自由で目の前のもの全てを信じられていたでしょう。

その後に訪れる誰かの決めつけや、裏切りなど想像も出来ずに。

◇◆◇◆◇◆◇

パラレルワールドから落ちてしまったわたしは、厚く暗い雲がかかったまま、見た目だけ晴れやかに暮らすことを覚えて、心に眠る孤独と向き合うこともなかったのです。 人並みな生活だけを願い、毎日必死でした。

疲れ果ててもうダメだ、という気持ちを誤魔化すように自分を奮い立たせた先に、運命の出逢いが待っていました。 本当の自分を取り戻す旅の始まりです。 そこには愛と涙がたくさん詰まっていました。

そして今、再びパラレルワールドを体験しつつあるのです。

理論的にパラレルワールドが存在するのかしないのかなんて、そんな難しいこと、わたしには一切わかりません。 パラレルワールドから抜けてしまったわたしが見てきた世界には存在しなかったことが目の前でおきて、今まさにそれを体験していると感じるのです。ただそれだけ。

多分、パラレルワールドって、自分が自分らしく生きている時の体感なのではないでしょうか。生きて行く中で背負ってしまった不純物を取り除いた先に繋がっているような。

◇◆◇◆◇◆◇

不思議なことも今いる世界には存在して、でもそれはきっと不思議でもなんでもない必然なんだけど。違う世界を知ったからこそ感じる「違い」なんじゃないでしょうか。 そんなふうに考えたら、やっぱり一分一秒無駄じゃないんだな、とあらためて感じるわけです。

ファンタゴールデンアップルは存在した。 あんなに美味しくて幸せだったもん。

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高尾山~夫との日常と彼との繋がり~

夫の思いつきで、高尾山に行ってきました。 息子も一緒に、と誘いましたが断られ。

ネットで見ていたら、高尾山口駅周辺の駐車場は金額が様々みたいです。 駅前の駐車場が運良く入れて、お盆休み中ですがカレンダー通りの平日扱いで1日800円でした。

参道を歩くとお蕎麦のお店がたくさん。下山したらどのお店に行こうか物色しながら歩きます。午前中ですが、並んでいるお店もちらほら。冷たいお蕎麦を楽しみにしながら登山道へ。

高尾山は一応2度目の登山です。とはいえ、中学1年生の時に来たきりで、記憶もほぼないのですが。

1号路は舗装されていて登りやすい、でも最初の坂は40代以降には相当きつい、といくつかのブログに書かれていました。 気持ちは最初から登りたい、だったのですが、 普段からジムに通ったり、走りに行っている夫はともかく、私はここ数年ののんびりした生活からも不安があり、登るだけでお互いが険悪な雰囲気になることは容易に想像できたので、夫はあっさりリフトを選択しました。

リフトはとても快適。ゆっくり登って行きながら木々の香りを感じることができます。 リフトに揺られている間、走行中の落し物は本日中にお返し出来ません、と放送が流れています。写真を撮りたいな、と思いながらも荷物をガサガサして何か落とすのを恐れ、諦めました。 そういう時こそ、落としてしまうのが私なので。

リフトの終点から、さあ、いよいよ登山です。 足の上げ方が悪いようで何度もつまづき、最初の階段からもう覚悟です。 2週間ほど前に行った三峯神社でもサンダルだったとはいえ、すぐに息が上がり、息子に驚かれる始末で。

「登るのはお互い自分のペースで行こう」そう夫に声をかけ、何かを頑張る糧にしなくては!右手に美味しそうな三福団子を見ながら「帰りに食べよう」と心に決めて進みます。

少し行くと分かれ道。それが男坂と女坂だと後から知りました。

長く急な階段を上るか、坂を登って行くか。 ここは覚悟を決めて階段を選びました。本当は「こっちから行かないと薬王院のほうに行けないのでは?」という勘違いだったのですが。

「ここは何とか一気に上がろう」と、久しぶりに頑張る自分を呼び出して、足元を見ながらひたすら登りました。

何とか上り切ってほっとすると、夫が「あ」。右側を見るとさっきの坂道。どっちを通ってもここに辿り着くのでした。

更にいくつかの階段を上り薬王院につきました。手洗い、うがいをして進みます。 神社によくある、おみくじ。夫は七福神などの御守りがついてるタイプ。これは三峯神社にもあって、確か200円だったはず。ここでは300円。開けてみると、三峯神社のには入ってなかった結んだ組紐のようなものが。どうやらこれが100円の差のようです。 私は天然石のおみくじに目がいきました。「ローズクォーツのがいいなぁ」。引いたくじは開けずにポケットへ入れてお参り。

やれやれ、少し休憩。ベンチに座りおみくじを開く。夫は大黒様、わたしは見事ローズクォーツを引きました。おみくじを読もうとすると夫はもう待てない様子。仕方なく立ち上がり、先へ進みました。

リフトからは約45分で山頂まで行けるよう。 後約25分、何とか登り切ろう。

真夏の登山なんてどうなの?と思いながらでしたが、所々でかんじる山の風は涼しくて、とても心地よいものでした。途中木々の匂いにも癒されました。人が少ないところではマスクを外して深呼吸。場所によって種類の違う香りを感じました。途中の檜。心と体を包むような至福の香り。

山道を歩くと、どこもそれぞれの匂いや空気感があります。どんなに霊性の高い場所であったとしても、感銘を受けるかどうかは別なんだなぁと思います。

特にパワースポット、と呼ばれているところ。場所によっては合わないところもあります。 何も感じなかったり、逆に強い倦怠感を感じたり。 その時たまたま居合わせた人たちから受け取ってしまっていることもあるようです。

高尾山にはたくさんの人たちが訪れていますが、木々たちがとてもおおらかで、人混みが苦手な私も終始穏やかな気持ちになれました。

頂上に近づくと、向こうから明るく大きな声が響いてきます。

あー、やっと登頂。天気だと前方に富士山が見えるそうですが、あいにくの曇り空。台風前で不安定な中、雨に降られず良かった。

頂上では名物のとろろそばを食べる人、景色を見ながらお酒を飲む人、木陰に座ってのんびり過ごす人。

私たちも端の石段に腰掛けて一休み。 さっき引いたおみくじをゆっくり読んでみました。おみくじって本当に不思議で、その時一番必要としていたアドバイスや戒めの言葉が書かれていて、素直に受け取ることが出来ます。 若い頃は漢詩や和歌の部分なんて見てもいなかったのですが、本当に大切なのはこの部分なんですよね。

急がない、慌てない、無理しない、傾聴する。ここのことろそんなことを考えていました。 今回のおみくじは、どんな時も慌てず騒がず、心静かにいるようにと。 高尾山の空気と共に大切に心に落とし込みました。

さあ、あとはお団子とお蕎麦目指して下りて行くのみ。

山門を抜ける前に、先程は気づかなかった六根清浄の石車が目に止まり、足を止めました。 石碑を読むと六根とは眼、耳、鼻、舌、身の感覚、つまりは五感とそれを正しく判断することを足した六感のことだそうで、六根清浄と唱えながら石車を山内の18ヶ所で各6回転させることにより、108の煩悩を消して清浄するとされているそうです。今はコロナの影響で石車を回すことは禁止されていました。 余分な感情をなくして正しく物事を判断する感覚を養うことはとても大切です。

石碑に呼びかけられたのも事実。 石車を回さずとも、心の清浄と正しい感覚を身につけられるよう心がけていかなくては。

時折涼やかな風と蝉の声に耳を傾けながらの下山はあっという間。途中の分岐点で今度は女坂を選んで三福団子へ一直線。

お団子を売っているお店は3軒あり、どれも違う味のようでした。1軒はみたらしとあんこ、その次のお店はゴマが2、3種類あるようでした。お腹に余力ごあれば食べ比べもいいですね。

お待ちかねのお団子を夫に買いに行ってもらい、景色を見られるベンチへ。 少し思いにふけり、ふと振り返ると、こちらへ歩きながら、もうお団子にかじりついている夫の姿が。あぁ。この後お蕎麦だから2人で1本と決めたのに、写真が。 1つ目の「大福」を食べ終えてから私へ。 くるみ味噌のたれは本当に美味しい。焼いたお団子にたっぷりつけてくれるお味噌は、甘辛のバランスがとれていて香りがしっかり。群馬名物の焼きまんじゅうや、各地で見かける五平餅なんかもお味噌がとても美味しいですよね。

2つ目の「幸福」をゆっくり味わって、3つ目の「裕福」は夫に譲りました。

(帰りのリフトは、あらかじめiPhoneを用意)

帰りのリフトに揺られながら思ったこと。

私は子どもの頃から「おいそれ」だと親から言われていました。思い立ったら「今すぐ」したい。それが良い結果を生むこともあるけど、大概はそれを「した」だけで終わってしまう。その充足感は一瞬で、慌てる心から起こる失敗も多かったのです。

じっくりと人を見てみれば、夫はとても慎重ですが、大きなことでも決断する時は早く、その後に迷いがありません。

それに気づいてからは自分の考えだけでなく、夫の考えにも耳を傾け、上手く調和させながら暮らしています。そうすることで、我慢が減り、争いもなく、穏やかに共同生活できています。 どちらかが思いついて発言し、それに賛成するか、代替案を示す。結論が出ない場合でも話しはここでおしまい。 しばらくしてからどちらかの一声で決まる、私たちはこのパターンが一番上手く行くようです。

共依存的な生活を送った20年、そこを越えてきた約3年。我慢もなく、お互い干渉することもない。私が笑うと夫は嬉しそう。

下りのリフトは景色もよく、登り以上に楽しめました。

さてさて、お蕎麦。 登る前、外に行列の出来ていたお店は...、受付終了となっていました。

登山道近くへ戻って高橋屋さんへ。 小天丼と小冷やしとろろ蕎麦。 セルフの冷たいそば茶が、汗をかいた後に感動の美味しさです。

運ばれてきたふたつの丼は思ったより多め。下山後のお腹をしっかり満たしてくれる量です。 十割かな?少し固めのお蕎麦と、とろろの喉越しの良さが抜群です。テーブルに置いてある刻み海苔をたっぷりかけて。 小天丼のタレもちょうど良い甘辛さ。海老、ししとう、海苔の天ぷらと漬物を確認しながら丸く平たい具を食べてみる。甘い...歯ごたえもしっかりしてる...かぼちゃ?...いや、違うな、でも美味しい。

車に戻ってその話しをすると、夫も不思議に思ったそうで(夫は天ざる)「柿?」と言うので調べると正解でした。 お店には大きな柿の木が建物の中を貫いているそうで、勉強不足な上、良く見てもいなかった私たちは後から残念がることになりました。 初めて食した柿の天ぷら。知らずに食べても美味しい一品でした。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

自然の中で受け取るものはとても大きいですね。 心地よいと感じると、その気づきが柔らかく心や身体に染み込んでいくみたい。

日常生活にも平穏が訪れ、完璧ではないにしても苦しまずにいられます。

心の中には、いつも大切な存在。

彼は夫に似ている。とても慎重で思慮深く、そして何より根気強い。 彼の存在無くしては、今の気づきはありませんでした。 彼への思いに沿って生きてきたら、自然といろんなことが良くなりました。

離れて別の日常を生きているのに、重なっている世界。 まだ一度も会ったことさえないのに。

彼のことを話した訳じゃないけれど、夫は何か感じているようです。

仕事を辞めた私に「きっとそのうち、したいことが見つかるよ」と言って、支えてくれています。 おかげで今は好きなようにして、金銭面でも不思議と悩まずにいられます。

無理して現実を統合する意味はない。離れていても愛し続けられるのだから。

全て平和的解決。ふたりを取り巻く人達もみんなが幸せになれる道を選んでいけたら。

初めから一緒になっていく予感はしています。 それは今でも。

どの道を選んでも、どんなに遠回りしたとしても、ふたりが歩んでいる道はひとつ。

私は幸せ。

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心の整理はじめました⑤~母の思い出~

短い梅雨が明けて、晴れ間が続いたと思ったら戻り梅雨のような空模様。 住宅街ではまだ聞こえない蝉の声、土手沿いではシャンシャン耳鳴りのようです。

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母の死からもうすぐ1年。

働き者で几帳面で、人付き合いはあまり好きじゃない母でした。

狭い一軒家に祖父母と父母、私は父母の養子としてこの家に来ました。 父との接触が少なかった分、母は厳しかった。

人の出入りも多く、祖父が亡くなるまでは家にいても掃除、洗濯、炊事、ずっと忙しく動き回っていました。 小さな頃、一緒に遊んだ記憶はあまりなく年中外に行って遊び相手を探していました。

歳をとった祖父母との暮らしは他の家庭とは違い、毎年梅干しを漬けたり、あんこを煮ておはぎを作ったり、昔ながらの豊かな生活も経験することが出来ました。

逆にその分、新しい風が吹かないので若かった私には窮屈で、雑誌を読んだり、ラジオやテレビで貪欲に流行を追っていました。 そうすることで友だちと少しでも馴染もうと必死でした。実際、かなり浮いていたので。苦笑

そんな子どもの頃、今でも鮮明に覚えていることがあります。 寒い冬の日、家に帰ると母は洗面器にお湯を張って玄関まで持って来てくれました。「寒かったでしょ、あっためなさい」そう言って私の手をお湯にゆっくり浸してタオルで拭いてくれました。 何気ない日の一場面、でも私には一生の思い出。

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私が結婚すると、「責任持って育てなくては私の実親に面目が立たない」と思い続けていた母もやっと肩の荷がおりたのでしょう。 厳しかった母はどこへやら、孫たちには本当に優しいおばあちゃんでした。

認知症にならないようにと心がけながら暮らしていたのに。

「一生懸命努力」、母の筆字が今も台所に張ったままになっています。

看護師さんにそのことを告げると、「写真撮らせて、私も頑張らなくちゃ」と。

母はその通り生きた人でした。 私も一時期は母と同じように生きていたけど、今は違うかな。 母が間違っていた訳ではなく。 ただまた別の生き方もあるということです。

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母は生前、とても熱心にお墓を守っていました。 「私はお墓のことをしているから幸せでいられると思うの」 と、よく言っていました。

我が家のお墓は1700年代頃から続く歴史のあるお墓らしいです。らしい、というのもいろんな経緯を経て墓守が転々としているから。わかっているのは私の祖母が最初に嫁いだ先のお墓だということ。夫に先立たれた祖母が祖父と再婚し、祖父が墓守となりました。祖父の死後はその娘である母が墓守となり、母の闘病中は父が、そして今は私です。 ここ3代だけでも3つの姓に変わっており、お墓の名前は祖父の苗字になっています。 納骨されている人たちの血縁もいろいろと複雑であり、ここまで保てたことも不思議な感じです。

私の次は娘か息子か。どちらも進んで手伝ってくれていて、有り難い限りです。 (ここまで話すとさぞ大きく立派なお墓を想像してしまいそうですが、実際は人が一人、前に立てるくらいの小さなものです。)

少子化核家族、今の時代どのご家庭でもお墓の問題はあるでしょうね。 墓終いや改葬される方も増えているように思います。

お墓を守っていくには金銭的な問題もあります。これは我が家も他人事ではなく、不安要素の一つです。 最終的には生きている人のほうが大事、そう思うことで少し楽に考え、子どもたちにも伝えています。

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この数年で小動物のペットたちも寿命を迎え、残るのはインコ一羽になりました。 娘も家を離れて自立しました。

家族仲はとてもいいです。 夫は今ではお互い衣食住以外は余計な干渉をしない同居人。 全てわかっていて、今は手助けしてくれているようにさえ思えます。

いろんなことが終わっていく。 私も家の片付けを継続しています。

全て整った先、また新しいはじまりを願って。

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愛の循環〜学びと気づき〜

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昼下がりの100均で高齢の男性が「トイレの消臭みたいのはどこにあるでしょう」と声をかけてきました。 偶然にも私はその商品の場所が思いあたったので案内しました。 「トイレの洗剤はこれかと思いますけど‥」「あ、そうじゃなくてシュっと匂いにかけるような、スプレーの、下着とか‥」「あ、でしたらこれですね、布用の。」 希望を聞きながら商品を見比べて何度も確認しました。 2つの商品を手にしながら「ありがとうございます、親切な人っているんだな、大概の人は知らないって追い払われちゃうんですよ」と言いました。わたしは 「いろんな商品があるから選ぶの難しいですよね」と言ってその場を離れました。 

いつもはスッキリした気持ちなのに、何だか今日は偽善のような、自分を疑う気持ちがでてきてしまいました。「ありがとう」だけならよかったのですが、「親切な人」って言葉が何だか引っかかって。

その男性に嫌悪感は一切ないのですが、「私ってほんとに親切な人なの?」という疑問が湧いてきてしまったのです。

面倒だな、私ってw

聞かれて応えたら「ありがとう」って言葉をもらって、私も何だか嬉しくなる。 見返りを期待したわけじゃないけど、結果お互い受け取りあっている。

善と偽善の境目はどこなんだろう。 偽善だって同じ結果なんじゃないかしら。

もやもやしたまま夜になり、帰宅直後の息子に経緯を説明しました。

「そんなもん、人なんてみんな本気で人のためになんて出来ないよ、やらない善よりやる偽善だよ」

大人な息子よ、ありがとう。

高1のストレートな言葉で一気に気持ちが晴れました。

そういえば、いつも「人のために出来ることなんてないんだ」と思って生きてるのに、なんで急にあんな風に思ったのかしら。

広がった視野で見返すと、今まさに目の前にある学びでした。

自分のためなのか、相手のためなのか。

あぁ、やっとわかった、そこが曖昧になってたからいつまでも堂々巡りだったんだ。

答えは自分の中にありました。

どう頑張っても誰かのために出来ることなんてない、自分のためにした事が結果相手のためになったらそれでいい。

自分のためにならないならしなくていい、でも心が動くのは自分のためにしてるからなんだ。後先考えるより、心が望むことを選んでいこう。

自分軸がぶれているから迷ってたんですね。

目の前に起きること全てが学びと気づき。それと共に点と線が繋がっていきます。

俯瞰して見る世界はどんどん広く大きくなっていき、目の前にあっても見えなかったものもはっきりと見えるようになっていきます。

人は皆守られている、大きな愛で。 だから大丈夫、思うままに進もう。 例え未来が予想できなくても、きっとその時がきたら最善の方法を見つけていけるから。

迷った時は声に出すと必ず誰かが応えてくれます。

商品が見つからなくて困った時も、気持ちのモヤモヤが晴れない時も。

世の中はそうやって、ぐるっと一周して愛が循環しているんですね。

気持ちの整理はじめました④

窓から見る外の景色は昨日も今日も変わらず。 時々に変わる雲の形と、窓越しの蝉の声が少しだけ心を急かすよう。

この数ヶ月は仕事を探すこともなく、ただしたい事をして生きてみました。

もっと気持ちも劇的に変化するのかと思ったけど、流れる時は特に変わったようには見えないな。

お金を稼いでない自分に「このままでいいのか」という気持ちがちらつくけど、心の奥の声と現実的な状況が「今はこのまま」って言うのです。

長く生きてきて、こんなに自由でわがままな生活ははじめてかもしれない。

毎日で精一杯だったわたしに、こんな日が来るなんて。

人生いつ何が起きるかわからない、ってほんとですね。

◇◆◇◆◇◆◇

上の文章は1ヶ月くらい寝かしていました。

あれから1ヶ月。 母が亡くなりました。

最後の3ヶ月は父だけの実家でしたが、訪問看護に切り替えて、訪問医の先生、看護師さん、介護士さんで連携をとっていただいていたので最後まで安心して看取ることができました。

がんでの余命宣言から約1年。レビー小体型認知症の発症からは約8年でした。

母の死については、またあらためて書きたいと思います。

◇◆◇◆◇◆◇

祖父母の死も、母の死も身近に経験し、ペットとして飼っていた動物たちの死もたくさんみてきました。

でも、わたしはもともと死に対してあまり悲しいイメージがありません。 少しのことにも泣くほどに感受性は人一倍強いように感じますが、死に対してだけは何故か悲しく思えないのです。

そんな自分を冷たい人間だと思ったこともありますが、ほんとのところはどうなんだろうと自分なりに考えてみました。

時がくれば死というものはみんな平等におとずれる。ただその死にはいろいろな状況があるのです。

わたしが今まで見てきた「死」はとても幸せな状況であったと思います。

祖父母も母も、そしてペットたちも、家族みんながその死を受け入れる時間をくれたこと。 決して誰かの予定を狂わせることなく、みんながその場でお別れできるような計らいがあったこと。

たくさんのことをわたしに教え、最後は悲しみの少ないお別れ。

何の後悔もない、ただそこには感謝だけがあったのです。

◇◆◇◆◇◆◇

誰かの死さえも日常の一頁。 生きているものはご飯を食べて寝て、また新しい一日を待つ。

心は大丈夫。 煩雑な手続きの連続で体は少し疲れたようです。

信じること~自分への愛~

f:id:moi_futaba:20210710222400j:plain外はすっかり梅雨空。 こんな季節は気分まで重くなって、なんだかざわざわ。

先月末には大きな月がでていました。 暖かい橙色の光。

秘密でもらうプレゼントのよう。

◇◆◇◆◇◆◇

日々信じることについて考え続けています。 人と人との関係の中でとても大事なもの。

この世での信用は対象者の存在そのものはもちろん、住所や社会的な立ち位置など、多くの観念によって成立しています。

その情報は対象者を保証しながら枠に固定していきます。

そしてひとつでも欠ければ信用から外されます。

人と人が繋がる時は、言葉を交し理解し合いながら少しずつ信頼を得ていきます。

もしその時、顔の見えない相手であったら? 普段の生活も垣間見ることくらいしか出来ないとしたら?

思いを通じ合わせることは難しいのでしょうか。

人を信頼することの前提にその人のなにかに魅力を感じたり近づきたいと感じているのですが、言葉を重ねるだけでその人の「人と成り」を理解することは相当に大変なことです。

いくら心を寄せても毎日の生活の中で人の気持ちは揺らいでいて誤解が生じることもあります。

信じたい人を凝視して見えている事をいくら知ったところで信頼感は育たないでしょう。

◇◆◇◆◇◆◇

物理的な距離が遠い人から助けを呼ぶ声が聞こえた時、私は無条件で飲み込むことは出来ませんでした。 正しくは「しません」でした。

その時も決して信じていないわけではなかったのです。 大切な人を前にして、私の中の覚悟と折り合いがその判断を一旦保留にしたのです。

何時でも過去には戻りたくない、前進あるのみの性格なので大切な時には特に慎重になります。

そんな私の気持ちを理解して、その人は何も出来なかった私に感謝の言葉を述べました。 私も感謝の言葉を返し、自分と向き合いました。

◇◆◇◆◇

一日が過ぎて状況が明らかになると自分が本当に望んでいることに気づき、「進め」と心がサインをだしたのです。

曇り空から一気に空が抜けるような感覚で、わたしがわたしを信頼できた瞬間でした。

例えば相手が突然に掌を返しても、この気持ちが無駄になってしまっても、それでいいと思えたのです。

今の感覚と気持ちを大事にしよう、そして私は私の信念を失わずに生きよう、今までもそうしてきたように。

◇◆◇◆◇◆◇

日々の繰り返しの中で見つめて行くのは自分自身でしかないことが言葉だけでなく心にはっきりと刻まれました。

自分だけは自分を悲しませないように、心が揺さぶられたら慌てずに深呼吸する。

信頼とは与えるもの、与えられるものであると思います。

誰かへの愛が自分への愛であるように、自分と向き合って心の深いところから受け取る感覚を大事にしたい。

直感を信じましょう。

不安も疑念もすべてから解放され、誰かを受け入れる時、自分自身への深い愛を共に感じることができるのです。

 

焦らず本当をみつけよう

私たちは今、焦燥感に駆られている。 焦ることで忘れてしまっているものはないか、混乱の中で自分を確立していけるのか試されている気がします。 世間の言葉だけに惑わされず生きることができるか。

◇◆◇◆◇

時は同じように流れているはずなのに、時々とても速く感じたりゆっくり感じたり。 流れに乗れていないと焦る気持ちが自分を急かすのです。 誰でもそうだし、慌てる必要ないのに。

前に進みたい時はあれもこれもと情報を探したりいろんな考えに触れる。 そんな時「そんなことしてるからダメなんだよ」 というような否定的な言葉に気持ちを揺らされることもありますね。

自分が求めていることなら自分の思うまま納得するまで、例えば繰り返しだとしても。 同じ所をくるくる回るのは誰かの意見に左右されて自分の軸がぶれてしまうから。 でも、その無駄に思える時間さえがすべてのプロセスなんだと思います。

誰かの言葉に今は気づかないあなたへの愛があるとするなら、今は受け入れられなくてもいつか腑に落ちる時が来るでしょう。 大切な言葉なら心のどこかに必ず残ります。 そして知らないうちにあなたを支え続けます。

◇◆◇◆◇

迷いから気づきに変わる時の何とも言えない爽快感。 生きることはその繰り返しですね。

忙しさの中に失くして来たものを取り戻すときか来ています。

自分の心に耳を傾けてみましょう。 そして本当の望みを叶えていきましょう。