夫の思いつきで、高尾山に行ってきました。
息子も一緒に、と誘いましたが断られ。
ネットで見ていたら、高尾山口駅周辺の駐車場は金額が様々みたいです。
駅前の駐車場が運良く入れて、お盆休み中ですがカレンダー通りの平日扱いで1日800円でした。
参道を歩くとお蕎麦のお店がたくさん。下山したらどのお店に行こうか物色しながら歩きます。午前中ですが、並んでいるお店もちらほら。冷たいお蕎麦を楽しみにしながら登山道へ。
高尾山は一応2度目の登山です。とはいえ、中学1年生の時に来たきりで、記憶もほぼないのですが。
1号路は舗装されていて登りやすい、でも最初の坂は40代以降には相当きつい、といくつかのブログに書かれていました。
気持ちは最初から登りたい、だったのですが、
普段からジムに通ったり、走りに行っている夫はともかく、私はここ数年ののんびりした生活からも不安があり、登るだけでお互いが険悪な雰囲気になることは容易に想像できたので、夫はあっさりリフトを選択しました。
リフトはとても快適。ゆっくり登って行きながら木々の香りを感じることができます。
リフトに揺られている間、走行中の落し物は本日中にお返し出来ません、と放送が流れています。写真を撮りたいな、と思いながらも荷物をガサガサして何か落とすのを恐れ、諦めました。
そういう時こそ、落としてしまうのが私なので。
リフトの終点から、さあ、いよいよ登山です。
足の上げ方が悪いようで何度もつまづき、最初の階段からもう覚悟です。
2週間ほど前に行った三峯神社でもサンダルだったとはいえ、すぐに息が上がり、息子に驚かれる始末で。
「登るのはお互い自分のペースで行こう」そう夫に声をかけ、何かを頑張る糧にしなくては!右手に美味しそうな三福団子を見ながら「帰りに食べよう」と心に決めて進みます。
少し行くと分かれ道。それが男坂と女坂だと後から知りました。
長く急な階段を上るか、坂を登って行くか。
ここは覚悟を決めて階段を選びました。本当は「こっちから行かないと薬王院のほうに行けないのでは?」という勘違いだったのですが。
「ここは何とか一気に上がろう」と、久しぶりに頑張る自分を呼び出して、足元を見ながらひたすら登りました。
何とか上り切ってほっとすると、夫が「あ」。右側を見るとさっきの坂道。どっちを通ってもここに辿り着くのでした。
更にいくつかの階段を上り薬王院につきました。手洗い、うがいをして進みます。
神社によくある、おみくじ。夫は七福神などの御守りがついてるタイプ。これは三峯神社にもあって、確か200円だったはず。ここでは300円。開けてみると、三峯神社のには入ってなかった結んだ組紐のようなものが。どうやらこれが100円の差のようです。
私は天然石のおみくじに目がいきました。「ローズクォーツのがいいなぁ」。引いたくじは開けずにポケットへ入れてお参り。
やれやれ、少し休憩。ベンチに座りおみくじを開く。夫は大黒様、わたしは見事ローズクォーツを引きました。おみくじを読もうとすると夫はもう待てない様子。仕方なく立ち上がり、先へ進みました。
リフトからは約45分で山頂まで行けるよう。
後約25分、何とか登り切ろう。
真夏の登山なんてどうなの?と思いながらでしたが、所々でかんじる山の風は涼しくて、とても心地よいものでした。途中木々の匂いにも癒されました。人が少ないところではマスクを外して深呼吸。場所によって種類の違う香りを感じました。途中の檜。心と体を包むような至福の香り。
山道を歩くと、どこもそれぞれの匂いや空気感があります。どんなに霊性の高い場所であったとしても、感銘を受けるかどうかは別なんだなぁと思います。
特にパワースポット、と呼ばれているところ。場所によっては合わないところもあります。
何も感じなかったり、逆に強い倦怠感を感じたり。
その時たまたま居合わせた人たちから受け取ってしまっていることもあるようです。
高尾山にはたくさんの人たちが訪れていますが、木々たちがとてもおおらかで、人混みが苦手な私も終始穏やかな気持ちになれました。
頂上に近づくと、向こうから明るく大きな声が響いてきます。
あー、やっと登頂。天気だと前方に富士山が見えるそうですが、あいにくの曇り空。台風前で不安定な中、雨に降られず良かった。
頂上では名物のとろろそばを食べる人、景色を見ながらお酒を飲む人、木陰に座ってのんびり過ごす人。
私たちも端の石段に腰掛けて一休み。
さっき引いたおみくじをゆっくり読んでみました。おみくじって本当に不思議で、その時一番必要としていたアドバイスや戒めの言葉が書かれていて、素直に受け取ることが出来ます。
若い頃は漢詩や和歌の部分なんて見てもいなかったのですが、本当に大切なのはこの部分なんですよね。
急がない、慌てない、無理しない、傾聴する。ここのことろそんなことを考えていました。
今回のおみくじは、どんな時も慌てず騒がず、心静かにいるようにと。
高尾山の空気と共に大切に心に落とし込みました。
さあ、あとはお団子とお蕎麦目指して下りて行くのみ。
山門を抜ける前に、先程は気づかなかった六根清浄の石車が目に止まり、足を止めました。
石碑を読むと六根とは眼、耳、鼻、舌、身の感覚、つまりは五感とそれを正しく判断することを足した六感のことだそうで、六根清浄と唱えながら石車を山内の18ヶ所で各6回転させることにより、108の煩悩を消して清浄するとされているそうです。今はコロナの影響で石車を回すことは禁止されていました。
余分な感情をなくして正しく物事を判断する感覚を養うことはとても大切です。
石碑に呼びかけられたのも事実。
石車を回さずとも、心の清浄と正しい感覚を身につけられるよう心がけていかなくては。
時折涼やかな風と蝉の声に耳を傾けながらの下山はあっという間。途中の分岐点で今度は女坂を選んで三福団子へ一直線。
お団子を売っているお店は3軒あり、どれも違う味のようでした。1軒はみたらしとあんこ、その次のお店はゴマが2、3種類あるようでした。お腹に余力ごあれば食べ比べもいいですね。
お待ちかねのお団子を夫に買いに行ってもらい、景色を見られるベンチへ。
少し思いにふけり、ふと振り返ると、こちらへ歩きながら、もうお団子にかじりついている夫の姿が。あぁ。この後お蕎麦だから2人で1本と決めたのに、写真が。
1つ目の「大福」を食べ終えてから私へ。
くるみ味噌のたれは本当に美味しい。焼いたお団子にたっぷりつけてくれるお味噌は、甘辛のバランスがとれていて香りがしっかり。群馬名物の焼きまんじゅうや、各地で見かける五平餅なんかもお味噌がとても美味しいですよね。
2つ目の「幸福」をゆっくり味わって、3つ目の「裕福」は夫に譲りました。
(帰りのリフトは、あらかじめiPhoneを用意)
帰りのリフトに揺られながら思ったこと。
私は子どもの頃から「おいそれ」だと親から言われていました。思い立ったら「今すぐ」したい。それが良い結果を生むこともあるけど、大概はそれを「した」だけで終わってしまう。その充足感は一瞬で、慌てる心から起こる失敗も多かったのです。
じっくりと人を見てみれば、夫はとても慎重ですが、大きなことでも決断する時は早く、その後に迷いがありません。
それに気づいてからは自分の考えだけでなく、夫の考えにも耳を傾け、上手く調和させながら暮らしています。そうすることで、我慢が減り、争いもなく、穏やかに共同生活できています。
どちらかが思いついて発言し、それに賛成するか、代替案を示す。結論が出ない場合でも話しはここでおしまい。
しばらくしてからどちらかの一声で決まる、私たちはこのパターンが一番上手く行くようです。
共依存的な生活を送った20年、そこを越えてきた約3年。我慢もなく、お互い干渉することもない。私が笑うと夫は嬉しそう。
下りのリフトは景色もよく、登り以上に楽しめました。
さてさて、お蕎麦。
登る前、外に行列の出来ていたお店は...、受付終了となっていました。
登山道近くへ戻って高橋屋さんへ。
小天丼と小冷やしとろろ蕎麦。
セルフの冷たいそば茶が、汗をかいた後に感動の美味しさです。
運ばれてきたふたつの丼は思ったより多め。下山後のお腹をしっかり満たしてくれる量です。
十割かな?少し固めのお蕎麦と、とろろの喉越しの良さが抜群です。テーブルに置いてある刻み海苔をたっぷりかけて。
小天丼のタレもちょうど良い甘辛さ。海老、ししとう、海苔の天ぷらと漬物を確認しながら丸く平たい具を食べてみる。甘い...歯ごたえもしっかりしてる...かぼちゃ?...いや、違うな、でも美味しい。
車に戻ってその話しをすると、夫も不思議に思ったそうで(夫は天ざる)「柿?」と言うので調べると正解でした。
お店には大きな柿の木が建物の中を貫いているそうで、勉強不足な上、良く見てもいなかった私たちは後から残念がることになりました。
初めて食した柿の天ぷら。知らずに食べても美味しい一品でした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自然の中で受け取るものはとても大きいですね。
心地よいと感じると、その気づきが柔らかく心や身体に染み込んでいくみたい。
日常生活にも平穏が訪れ、完璧ではないにしても苦しまずにいられます。
心の中には、いつも大切な存在。
彼は夫に似ている。とても慎重で思慮深く、そして何より根気強い。
彼の存在無くしては、今の気づきはありませんでした。
彼への思いに沿って生きてきたら、自然といろんなことが良くなりました。
離れて別の日常を生きているのに、重なっている世界。
まだ一度も会ったことさえないのに。
彼のことを話した訳じゃないけれど、夫は何か感じているようです。
仕事を辞めた私に「きっとそのうち、したいことが見つかるよ」と言って、支えてくれています。
おかげで今は好きなようにして、金銭面でも不思議と悩まずにいられます。
無理して現実を統合する意味はない。離れていても愛し続けられるのだから。
全て平和的解決。ふたりを取り巻く人達もみんなが幸せになれる道を選んでいけたら。
初めから一緒になっていく予感はしています。
それは今でも。
どの道を選んでも、どんなに遠回りしたとしても、ふたりが歩んでいる道はひとつ。
私は幸せ。
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